一億総"かまってちゃん"時代をどう生きるか?①

FacebookTwitterInstagram、Snapchat・・・・

今や若者の間で上記のSNSを使ったことがないという人たちはほとんどいないだろう。

全員がソーシャルな顔を持つようになった今、ソーシャル人格が吐き出す言葉や意見により、今までのオフラインの村社会では到底許容できないような新たな価値観や文化が醸成されてきた。

誰もが情報にアクセスできる一方で、誰もが見たいくない聞きたくもない膨大な情報に触れてしまうようにもなったこの時代に、どのようなスタンスで立ち向かうべきなのか。

 

ソーシャル村では何がバリューとされるのか。

Twitterはフォローしている人数とフォロワーの人数の差がバリュー」

Instagramは、統一感が大事。全てを白枠(アプリで加工)にし、統一感をきちんと出せている人は上級者。」

「SnapchatやInstagramのストーリーでは、投稿しても"like"がそこまでたくさん来なそうな日常を投稿する。」

上の例は、ソーシャル村(オンラインの文化などを表現するにあたり、これらのオンラインの世界をソーシャル村と呼ぶことにする)では、当たり前中の当たり前になっている価値観だ。SnapchatやInstagramのストーリーなどはめまぐるしく新機能が追加され

ているが、それをいち早くキャッチし、おしゃれに使いこなすことも、また大事なソーシャル村でのバリューのひとつである。いかに"like"(SNSによっては呼び方は違うが)を稼ぐか、フォローワーを増やすか、そしていかに統一感を出して、おしゃれだと思ってもらえるか。そんなことにソーシャル村のイケていると言われる住民たちは全力を使う。

 

f:id:redappi:20170526112508j:plain  (画像:ローラさんのInstagram

また、それぞれのSNSにそれぞれの特別なバリューはあるが、基本的にはリアクションを大きくもらえるものに対して価値が集まることが多い。twitterリツイート数、Instagramのlike数、facebookのいいね数、みんなどれだけリアクションをもらえたかで価値が測られることが多いのだ。

 

村で人気者になるために。

人によってSNSに対してのスタンスはそれぞれではあるが、やはりSNSを使っているからには、ある程度その人のソーシャル上のバリューによって優劣をつけられることは多くある。そしてその空気感は、人々をよりソーシャル村にコミットさせる力となっていくのだ。

少し話はそれるが、最近の女子大学生はInstagramで食事を探すことが多いという。友人の投稿や、ハッシュタグなどから写真を探し、その写真を元にレストランを選ぶのだそうだ。もちろん、写真を見ておいしそうなレストランに行くということは、なにも不自然なことはないのだが、Instagramをレストラン検索するために使っている人たちには、「どれだけフォトジェニックで SNSに投稿しやすいか」という点も無論お店選びの軸となってくるのだ。ソーシャルメディアに載せるまでが体験の一部となりつつある現状は時に私たちのオフラインの生活すら大きく蝕んでいくこととなる。

料理だけではなく、旅行などにも言える。観光地選びは次第に「どれだけフォトジェニックか」という軸が強くなり、旅行という体験の意味合いが少し変わりつつすらある。 

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(引用:http://www.travellushes.com/malibu-santa-monica-west-hollywood/

ロサンゼルスのmelrose avenueの写真。実際には、ここはショッピングモールの一角なのだが、ここを目当てに写真を取りに来る観光客が急増している。見たことある人も多いのでないだろうか?

 

他人からの評価が自分を形成する文化。

ソーシャル村が作り出した文化は、若者の生活を大きく変え始めている。常に、自分と似たような趣味や価値観を持つコミュニティーとの接触を持つことが、無意識的に人々の行動を狭めているケースはよくある。これをネット社会が作り出したフィルターバブルとも呼ぶのだが、このフィルターバブルによって、私たちは自然に、他人からのリアクションをとることが価値だと意識的に刷り込まれ、自分のアイデンティティーが他人からの評価を中心に形成されてしまうことが当たり前に起きつつあるのだ。日本人の国民性でもある同調圧力と、ソーシャル村の文化が非常によくない形でマッチし、いつからか私たちは、人に気に入ってもらえる、評価(Instagramのlike)をされやすい自分へと自分の価値観や生活すら容易に変えてしまうのである。

また、ソーシャル村は、オフラインの生活より、コミュニティーの壁を超えるのが難しい。一見、違う趣味の人をフォローすればいいのでは?と考える人もいるかもしれないが、ソーシャル村内のコミュニティーは明確に境界があるわけでも、昔のmixiのように閉鎖的なコミュニティーがあるわけでもないので、意識的に自分と価値観が全く違う人をフォローしていかない限り、そこのコミュニティーを超えることは決して容易ではない。そもそもソーシャルの社会上での文化は、横断的に似たようなものであることが多いため、そもそもソーシャルの社会から離れるといったことも必要になってくるのだ。

 

 

[続く]